
雪の舞い散る中をじっとしているリランがまるで主人の用事が終わるのを待っている犬のように見えました(^^; もちろんいい意味で。
エリンとリランはだいぶ心を通わせていますが、それでも人と獣のあいだには絶対的な壁があるという現実と、その壁を受け止めてなお進んでいくエリンの強さ、それを示したのが左手のケガのエピソードだったようです。
エリンを応援する視聴者(おもにわたし)にはショックだったのですけども、「強い心を持って信じる道を進んでほしい」という制作側からのメッセージなのかな。"世界名作劇場"的に。
獣の奏者エリン 第47話 「清らかな夜」
今回はみそぎを行うセィミヤのもとへエリンがリランとともに降り立ち、セィミヤが知るべきことをエリンがすべて伝えたお話。
――何も疑うことなく真王としての道を進んできたセィミヤは王獣と同じく檻の中で生きているようなもの。真王ハルミヤもきっとそう感じていたこと。祖であるジェが王獣規範を作った真意。そしてダミヤの策略。
エリンの言葉に耳を傾けながらもなかなか受け入れることが出来ないセィミヤだったけれど、最後に「タハイ・アゼでは何もせず、そばにいて見るように」とエリンに言いました。
セィミヤは国の命運を決するタハイ・アゼで、真王として自分の力で成すべきことをしようと決意したのでしょうか。
エリンがセィミヤのそばにいるということは、エリンがリランに乗って闘蛇を抑えることが出来ないということですよね。どうであれセィミヤの現"真王"である立場と矜持ゆえのことだと思うのですけど、どうにも"奇跡"が起きなければセィミヤは闘蛇軍を退けられない気がします。
そうでなければ大公領(シュナン)の意向を呑むことになりますよ…?
セィミヤはすでに何かを決意したのか、それとも決戦の地で何かを見極めようとしているのか。エリンと会って話をしたセィミヤがどう変わったのか、見守りたいと思います。
今回のサブタイトルの「清らかな夜」は、セィミヤがみそぎの湯浴みを行った夜のことではなくて、リョザ神王国にとって清らかになった(=正しい道が見えた)夜、という意味なのかなと思いました。
次回が「リョザの夜明け」ですしね。"明けない夜は無い"、ということで。


ふたりの話が終わるのをじっと待つリランの図。可愛いです。
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